2014年11月29日

ビジネス街の靱公園 秋に染まる

久し振りに「靱公園」にやってきました。
都心の公園としては、中之島公園と並ぶ存在だと思います。
靱公園は、面積: 9.7ha、1955年10月21日開園しました。

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四ツ橋筋側の入り口です。

「靱公園」は、徐々に整備され、5・6年前にもバラ園から西側が整備されて現在の状況になりました。

戦後、靱公園の開設にむけて

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整備完成後の靱公園空撮写真(産経新聞社提供)

かつては、靱塩干魚市場の跡地にあたる。空襲で廃墟になりました。
戦後、約3万坪が占領軍に接収され、占領軍の常用飛行場となった。

大阪市制の歴史についてのページによると、
昭和21年に戦災復興区画整理事業の公園と決定し、翌22年には都市計画公園として認可されます。しかし、進駐軍の飛行場だったことから、すぐには着工できませんでした。
その後、昭和27年6月25日、土地の返還をうけ同年7月1日工事を着工しました。

戦後できた公園としては最も大きい公園でした。工事の大部分が失業対策事業で行われたのも特色の一つです。従事した労働者は、延べ約20万人といわれています。

昭和30年10月21日に竣工、開園式が行われました。
建設省関係者をはじめ、在阪衆・参両院議員、府、市会議員など関係者500人が出席する盛大な式典でした。

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現在の靱公園です。

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近年、西側のバラ園などが整備された。

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水の流れもあります。

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石組みの流れもある。

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戦後、約3万坪が占領軍に接収され、占領軍の常用飛行場、靱飛行場となった。講和条約発効をもって大阪市に返還され、靱公園として整備された。東西に細長い形をしているのは滑走路跡地であることによる。大きな木が多数植わっており、都会のオアシスである。

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僕が靱公園で印象に残るのは、東から二つ目のロータリーにある人物静態人形とでもいうような作品である。ロータリー花壇内に3組の作品があります。

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これは本物の人間。外人の親子です。
ベビーカーを押す夫婦、自転車の練習をする親子、靴のひもを結ぶ姉妹

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小高い丘から西側を眺めたところです。
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posted by マッチ at 16:13| Comment(0) | 四つ橋・西本町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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