2014年07月04日

天下の南北軸大動脈「新御堂筋」:VOL.1

国道423号・新御堂筋は全国でも例を見ない特別な道路です。
「大阪にあるものは他の都市にもあるだろう」などと考えてはいけません。大阪自体が特別の存在だし、世界都市なのです。
かつての大阪府は馬力があった。高度経済成長期、千里をつくり、泉北NTをつくった。
政府をあてにせず、独自に広域的な都市計画が実行された。千里NTの計画は昭和30年代初頭にさかのぼる。1970年の大阪万博よりはるか以前、いや1964年東京オリンピックより前に、すでに千里ニュータウンは人の住む街として存在していた。
大阪府が独自に開発を進めた。日本のどこにもそんなものはなかった。政府にもノウハウがないから、建設省は大阪府に聞いて徐々に他の都市にも手法が伝えられた。

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千里NTの中核をなす、千里中央付近の空撮写真。EXPO70に日本は限りない夢を感じ、無限の可能性を信じた。

新御堂筋は放射軸になるが、普通の放射軸ではなかった。大阪都心南北軸の延長にあり、旧市街の御堂筋の都心軸拡大版といえた。
そこに大阪市との分担体制の確執があった。大阪府は当時から大阪という都市を府全域がひとつの大阪、ひとつの都市と認識し発想していた。
一方大阪市は狭い市域ながら、戦後復興に全力をあげる必要があった。現在以上に市域外のことなど考える余裕はなかった。狭い市域に全力をあげることで、分担体制がうまく機能していた。二重行政がたまたまよかった時代といえた。

大阪府の発想はあくまで府下も含めて、ひとつの大阪の発想だったので、千里の開発を機会に大阪都心軸を大胆に北部に延長・移動させる計画を立てた。
新幹線も、高速道路もなかったが、将来的に北部を通過することが大阪府には判っていた。国土軸の概念が出来上がりつつあった。
都市発展の最大の条件を国土軸に求め、道路や都市計画の基本インフラを決定、誘導していった。新御堂筋はこうして昭和30年代には姿を現し、江坂・千里中央や箕面船場などが出来上がっていった。それがベッドタウンでない都心南北軸の「新御堂筋」であった。たしかに大阪府は未来を見ていたようだ。
さて、今回「天下の南北軸大動脈・新御堂筋」というタイトルが復活する。
全国屈指の交通量、大阪北部の南北軸として、阪神高速でもないのに全線立体交差で信号はない。新御堂を延伸する形で箕面有料道路も開通しています。

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旧市街の御堂筋に対し、梅田〜千里にかけて新御堂筋が建設された。

大阪市域は東三国−江坂間の神崎川以南で、それから北は府下になります。市域が狭い大阪の街づくりと密接な関連があると私には思えます。市域は狭いけれども府下郊外まで大阪市街なのだとの認識は新御堂筋によってもたらされている面が大きい。じじつ江坂も千里中央も吹田市や豊中市なのに電話市外局番「大阪06」です。
なぜ新御堂筋という弾丸道路のような特別な道路が造られたのか、北摂地域と大阪の既成市街地の一体化を目指したたように見える。と同時にその効果は非常に大きいです。既成市街地の北側には淀川があります。川幅1kmに近い街を分断する存在です。

市街の狭い大阪は、この淀川以北に新天地を求めたのではないだろうか。それは淀川以北に新たに造られた街の名前にも見ることができます。旧市街の「大阪駅」に対して「新大阪」、「船場」に対して箕面の繊維団地コムアートヒルは「新船場」という地名になっています。

そもそも、この「新御堂筋」というネーミングこそ旧市街の「御堂筋」に相対したものです。
そう、大阪は淀川以北に新たな大阪新市街を造ろうとしたのだ。そして新市街と旧市街の一体化を目指した道路、それが新御堂筋というわけです。
だから特別の弾丸道路になったのです。
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posted by マッチ at 11:57| Comment(0) | 道路 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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