2014年02月28日

(仮称)北浜1丁目プロジェクト2014年2月

2月の最終の記事にします。いわば月締めのラストラン記事です。
明日からは弥生3月です。寒い寒いといいながら、いつしか厳冬の季節は過ぎ、急速に気温も上昇したようです。それにしてもMP2.5大気汚染源がきょうも濃厚なのか、視界はめちゃくちゃ悪いです。春先には黄砂がいつものように飛来するのかもしれません。

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完成予想パースからにします。土佐堀通側のパースです。

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大阪証券会館本館跡地に着工している(仮称)北浜1丁目プロジェクト。
小粒ながら土佐堀通と中之島側の両側の外壁が、ガラスカーテンウォールというオフィスビルになります。

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鉄骨が上がり始めています。

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建築計画。

地上9階、地下1階、高さ40.14m
延べ面積:5562.57u
構造:地上鉄骨造、地下鉄骨鉄筋コンクリート造
事業主は平和不動産で、設計監理は三菱地所設計、施工は大成建設。

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いつも中之島公園から眺めては、どんなビルが立つのだろうと想像していました。
土佐堀通に面して、反対側は土佐堀川です。通りの両側は詰まっていたはずなのに、いつの間にか、細長い敷地が工事現場になってました。大阪証券会館本館が立っていたのです。

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公式ページの地図

大阪ビル景さんによると、伊藤博文や大久保利通らによる大阪会議が催された、名門料亭「花外楼」があったという。
大阪会議は、明治8年(1875年)2月11日に明治政府の要人である大久保利通・木戸孝允・板垣退助らが大阪に集い、今後の政府の方針(立憲政治の樹立)および参議就任等の案件について協議した会議です。

「花外楼」は現在も名門料亭として存在している。あべのハルカス、レストランフロアにも出店している。もう2年くらい前ですが、友達は「花外楼に行ってきたよ」と、かるく言ってたのが印象に残っています。僕を歓ばそうと思ったようです。大阪会議あった料亭と知っていたのでしょう。
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posted by マッチ at 23:14| Comment(5) | 淀屋橋・本町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここで話すのはスレ違いですけど、前の記事での意見としてあえて書きますね。

僕が思うに、暫くの間マスメディアから発信されてきた自虐的内容の報道に加えて、大阪が培って来た歴史文化は無視して“豹柄オバちゃん粉もんタイガース”の固定観念の刷り込みといった洗脳に近い情報発信をされて来た訳ですけれど、そのような情報と現実とのギャップに色々と違和感を感じて来た府民は多いと思いますよ。

ネット情報の発達で視界が開けたのか、この何年かは市内での再開発で新陳代謝が進んでいる場所もありますが、それまでの40年間の郊外への人口流失で結果的に大阪市が地盤沈下して行った過程を見ると、TVメディアの偏った情報操作が加わった事で地盤沈下が誘導されてしまった様にも思えてしまうのです。

ここで大阪が持ち直すには、戦前の明治〜大正期に行って来た大胆な市域拡張も必要なのではと考えたりもしますが、出来る事なら中核市同等の特別区として豊中、吹田辺りを大阪市に加える事が出来れば都市としてのバランスも良くなるのでしょうけれど色々難しいですね。
Posted by 鳥助 at 2014年03月01日 10:24
まったく同感です。
過去、40年間の郊外への人口流失で結果的に大阪市が地盤沈下して行ったのが現実にあります。この郊外化は何だったのか。

当時の状況は、郊外が理想郷という価値観が支配していました。学園前・真美が丘はおろか、近鉄沿線の三重県名張周辺まで土地を買った人もおおい。

その裏には、全国放送による大阪のネガキャンで価値の下落が誘導されたのでしょう。キー局はライバルという立場にありながら、今も東京上げ、大阪下げという点では一致しています。おそらく根は監督官庁の官僚が共同歩調を取らせていると推測できます。

大阪都構想に関していうと、豊中、吹田、摂津、門真、守口、大東、東大阪、八尾、柏原あたりまで最低特別区に加えるのが必要。
さもなければ、大阪府全域を特別区にするくらいの大きさが必要と痛感しています。

人口というのは、中心市街地がつなぎ止めていれば、郊外遠隔地でも目先OKですが、将来、子供、孫の代になると、やはり土地に愛着を持つようになる。兵庫県の西宮、芦屋、宝塚などは、都市形成の過程からすると、大阪なのに、現実は府県のしばりが想像以上に大きいです。
これでは大阪はやってられません。
大学と人口について再考しなければならないのも事実のようです。
Posted by マッチ at 2014年03月01日 11:27
>過去、40年間の郊外への人口流失

これに関してはしばらくの間、東京でも顕著でした。というより東京こそがバブルの地上げと私鉄等による郊外ニュータウン開発で中心が最も顕著に空洞化していたと思います。
ここ10年で臨海部をはじめとするタワーマンション建設の加速により都心回帰が進み人口が増えてきましたが、私が上京した80年代末期は郊外へのスプロール化が著しく、その後は23区の人口が800万人を割った時期もありました。(現在は900万超)

都心に住まないで郊外に住む動向は東京も大阪も変わりがなかったのですが、ではその原因は何か、というと東京の場合は地価の高騰なのは間違いないですが、大阪の場合はマスコミによるネガキャンンで都心が無価値になったことが大きいのでしょうか?私はそれはちょっと牽強付会かなあと感じてしまいますが。
むしろ地盤沈下したのなら逆に不動産関連業が下落した地価を利用して新たに価値をつけなおすことが肝要だと思います。マスコミよりは実業の方々が頑張るべきだったのではないかと。積極的な開発をして「都心に住んで便利な都市生活を」というアピールをすれば良いだけではないだろうか?それをマスコミが取り上げないことはないと思います。
Posted by 杉並区民 at 2014年03月01日 20:21
この40年間に渡り各新幹線、各高速道路といった主要交通インフラ網が東京中心部に向けて集中させる整備が続いて来た中で、大阪の場合は主要交通インフラ網の通過点(国土軸)が中心部から外れた位置にあるという環境にありますので東京と比較するのは適当ではないですし、そんな状況下で大阪は郊外化が進んで来た経緯がある訳です。
主要交通インフラ網が通り、阪大や関西大がある郊外住宅都市の吹田、豊中辺りを特別区として大阪市に加える事が出来れば都市としてバランスが良くなるんですがね…

メディア発信という意味でも東京と大阪とでは置かれて来た条件が違います。
これまでTVキー局側は全国発信で積極的に東京の銀座等の洗練されたエリアや新スポットを日常的に紹介してきた訳じゃないですか。
大阪の準キー局の場合は、これまで大阪の街といえば商店街のオバちゃんゴリ押しで、御堂筋等の洗練された都心部のエリアは殆どと言って良い程紹介されて来なかった(隠してた?)経緯があるんですよね。信じられないでしょうけど…

上の方でも述べましたけど、TV局による大阪の紹介という意味では偏向気味な内容が多かったのは事実ですし、府民も基本的に大阪の街の事を余り理解してなかった事があると思います。
ただ、ネットでの映像情報収集も容易になった今では少し状況は変わって来た感がありますし、再開発も増えて来た様です。
Posted by 鳥助 at 2014年03月01日 22:31
>大阪の場合は主要交通インフラ網の通過点(国土軸)が中心部から外れた位置にあるという環境にありますので東京と比較するのは適当ではないですし、そんな状況下で大阪は郊外化が進んで来た経緯がある訳です。

なるほどインフラ面で都市の形相が変わるということですね。確かにそうですね。
新大阪を新都心としてもっと発展させる方向もあったのかもしれませんが、現状では梅田界隈が中心ですものね。

東京では重要度において同等の副都心が新宿、池袋、渋谷と複数あるのでそこに郊外からの線を繋げれば第一段階として都心接続が実現し、さらに乗り入れ等で東京、銀座などの旧来の都心にアクセスできるためインフラによる郊外化は副都心を中心に実現してきたと言えそうです。

>これまでTVキー局側は全国発信で積極的に東京の銀座等の洗練されたエリアや新スポットを日常的に紹介してきた訳じゃないですか。

銀座についてですが、私が上京した時代は低迷していました。実態はともかくイメージとしてはもう終わった古臭い街という印象が否めませんでした。若い人はだれも行きませんでした。なにしろ「シブヤ!」という時代だったんです。90年代終盤まで若者の街代表だった渋谷も今は大人しい感じですね。旬の街は時代で変わるなあと思います。
Posted by 杉並区民 at 2014年03月01日 22:42
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