2014年01月31日

大依羅神社と大和川に没した依網池の謎

大依羅神社は現在も大和川堤防近くに存在している。
1月20日、大依羅神社に参拝かねて訪れた。今月中に記事にしたいと思ったが、歴史に弱いのもあって、記述は難攻をあぐねたのが正直のところ。

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境内には、神社の歴史を証明するように大きなクスノキがある。

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大依羅神社の名前は古事記・日本書紀にも見え、古代には一帯に広大な神領を有していた。附近の「我孫子」の地名は依羅吾彦(よさみのあびこ)に因むものである。朝廷からの崇敬を受け、摂津国内では住吉大社に次ぐ扱いを受けていた由緒ある神社であるらしい。
行ってみると、我孫子のかなり奥まった大和川堤防近くに大依羅神社があった。

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南門には、猫が門番のように居座っていた。

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裏門にも大和川に続く参道があった。

我孫子及び一帯は、旧地名「依羅村」と呼ばれたらしい。古代に居住していた豪族、依羅吾彦に由来するといわれる。古墳時代、依網池というため池が造成された。狭山池よりも古く巨大な池であったらしいが、大和川の付け替え工事により消滅の道をたどることになる。

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参道の両側は依網池を埋め立てたという阪南高校のグランドになっていた。

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大和川寄りにも鳥居がある。

1704年の大和川の付け替えにより、地域を横断する形で新大和川が開削された。そのため関係の村では耕地が大きく減少した。
従来の依網池の大半が新大和川の河川敷に転用されて面積が3分の1に縮小したことと従来、狭山池からの水も利用していたが、新大和川で供給路が分断されたために不可能になった。

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参道を抜けると、「依網池跡」の碑が立っていた。

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大和川堤防に上ってみた。堺の北花田方面が見えていた。

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対岸の堤防には阪神高速大和川線の工事をやっていた。

狭山池から依網池には、西除川を通じて流れていたと思われるが、1704年の大和川の開削によって、現在の西除川はあびこ筋近くの浅香で大和川に合流させているが、大和川の水位と合わず、阪和線の下流の山之内まで、並行河川を引いて狭間川とともに合流している。いわば上流側の流路はオーバーフローの役割になっている。
狭山池からの流出路は西除川ともう一本、東除川という河川もある。こちらは国道309号の上流の高野大橋付近で合流している。狭山池から出た西除川は北野田・布忍付近を流れて大和川に流入するが、上流側は天野川と呼ばれ、天野山金剛寺に源流がある。
狭山池とは直接関係ないが、大和川水系の河川に石川がある。この石川こそ河内長野の滝畑ダムに源流がある。
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posted by マッチ at 23:50| Comment(0) | 24区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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