2015年09月06日

伝説の宗右衛門町

昭和40年代初頭の頃の話ですが、昔の同僚が驚いていました。心斎橋のへんて、凄いで。
夜な、12時廻ったころからが凄いねん。夜中の12時過ぎに人通りがめちゃくちゃ多いねん。
北摂・茨木在住の人間の感想ですが、
どうした訳でしょう。おそらくクラブ帰りの引け時のラッシュになっていたように思います。

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心斎橋というと、まあ、道頓堀というか、その北側の通りが宗右衛門町ですが、
その宗右衛門町通りで、1階が駐車場になっている建設途中で廃墟になったビルがあります。

以前はダンスホール&キャバレー富士で、その次にグレートサロン・パルコと、可愛らしい名前のディスコ・パティオがありました。
それにしても宗右衛門町のダンスホール富士がなぜ、どのようにして廃墟になってしまったのか、分かりません。
私は一時期、宗右衛門町友の会という会に所属していました。社交ダンスの愛好会でしたが、不良熟年グループの会でした。
道頓堀の歴史に欠かせない浪花五座と言われた道頓堀の浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座・・・

町名改正前の心斎橋は由緒正しい町名の宝庫でした。畳屋町、笠屋町、千年町とかありました。坂町というのもあったと思うよ。
もう少し堺筋方面に向かうと、有名なダンスホールだったメトロ、そのずっと前がキャバレー・メトロポリタンとナイトシアター・ジャンボです。
近くには、サパークラブ青い城とサパークラブ淀、それにサパークラブ笠を合わせ、当時は三大サパークラブと呼んでいたそうです。

「周防町」という通りがあります。これは約束どおりの呼び方ですね。
 (東西の道で、東心斎橋のいわゆる“ヨーロッパ通り”のことです。
読み方は「すほうまち」ですが、地元では「すおまち」と発音することが多いです。)
 
そのひとつ南の(東西の)道を、「八幡筋(はちまんすじ)」と呼び、
さらにひとつ南の(東西の)道を、「三津寺筋(みってらすじ)」といいました。
その南の東西の道は、法則通り「宗右衛門町(そうえもんちょう)」です。

この「周防町」から「宗右衛門町」までの区間の南北の道を
心斎橋筋から東へ向かって堺筋まで順に

「畳屋町(たたみやまち)」
「笠屋町(かさやまち)」
「玉屋町(たまやまち)」
「千年町(せんねんちょう)」
という南北の通りがありました。
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posted by マッチ at 14:35| Comment(2) | 難波 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする