2014年12月03日

仁徳天皇の宮殿はどこにあったのか PARTU

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前期難波宮の復元模型。

(ENZO様)
更に応神、仁徳帝時代の都は記紀にあるように長柄豊崎宮と高津宮であり、これは大阪市中心部にあり河内国でありません。通常権力者の統治所在地は陵墓より都の所在地で呼称するのが適切でしょう。(例:メンフィス王朝、テーベ王朝、ビザンチン朝など)陵墓は元来、都心でなく、山林地帯などに作られるのが普通と思います。おそらく当時仁徳陵周辺は山間丘陵地帯で自然の山を整形して古墳にしたのでしょう。

よって、河内王朝でなく「大阪王朝」乃至は「難波王朝」という呼称が考古学的にも適切な呼称だと思いますし学会に対して呼称変更を要求してもおかしくないと思います。

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住吉大社の公式ページには、歴史についても記述があります。
それによると、仁徳天皇、313年、難波を都と定めるとあります。

歴史的に見て、応神、仁徳朝(中国史書では倭の五王時代)の歴史的位置付けは不当に過小評価されているように思えます。応神、仁徳天皇の実在はほぼ史実とされてよいでしょうし、中国の史書でも倭の五王として存在明記されている重要な王朝であり、高句麗王の碑文でも当時倭の軍隊が新羅、百済を支配して高句麗と戦闘したと明記されています。東アジアの国際関係史上において非常に重要性の高い王朝です。
よって、河内王朝でなく「大阪王朝」乃至は「難波王朝」という呼称が考古学的にも適切な呼称だと思いますし学会に対して呼称変更を要求してもおかしくないと思います。

歴史的に見て、応神、仁徳朝(中国史書では倭の五王時代)の歴史的位置付けは不当に過小評価されているように思えます。応神、仁徳天皇の実在はほぼ史実とされてよいでしょうし、中国の史書でも倭の五王として存在明記されている重要な王朝であり、高句麗王の碑文でも当時倭の軍隊が新羅、百済を支配して高句麗と戦闘したと明記されています。東アジアの国際関係史上において非常に重要性の高い王朝です。

(KOZU)
ご無沙汰しています.中馬市長は関市長以来の名市長といわれている人ですよね.「お金は後から付いてくる」これこそが政治家や経営者の発言であって,

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大阪万博開幕、御堂筋線・北大阪急行、開通の日、テープカットする中馬市長(右端)jijicomより借用
(KOZU)
「お金は後から付いてくる」これこそが政治家や経営者の発言であって,「お金がないからできない」は役人の発言です.そういう意味では橋本知事もまだまだ軽すぎるとは思いますが,10年後が楽しみな人材だと思います.そういう人を時間をかけて大切に育てるというのも,本来の大阪の旦那衆のスタンスではないかと思うのです.

さて,話は変わりますが,大阪の強みについて考えていたのですが,まず,大阪それ自体,日本の他の地方都市とはレベルが違がうのです.私は大学で就職のサポートも長く担当していましたので会社挨拶にも出かけたりするのですが,とにかく大変なのが東京です.とにかく地下鉄と山手線を駆使しても2日はかかります.次が大阪.地下鉄を駆使して1日かかります.それ以外の都市は基本的に歩いて回れます.

次に,大阪はそれ単独では日本第2の都市ですが,京都,神戸,奈良を周辺に配していることで,ある意味,世界にも例を見ない都市圏を形成いていることにどれだけの人が気付いているでしょう.そして,この都市圏の強みは大阪が要となるところにあるのです.大阪から電車に乗ると一度田舎になりかけた後,フィレンツェにも負けないような京都や奈良が現れます.神戸までは延々30kmに渡って上品な都市風景が続きます.東京は横浜が多少アクセントになっていますが,ほぼ同心円的に田舎になっていきます.

また,上記4都市から,それぞれひとつを抜いてみればわかりますが,大阪が抜けたら京都も奈良も所詮は遺跡都市なのです.神戸は大きな小樽です.東京が大阪を蔑んで,京都,神戸を持ち上げるのは,大阪抜きの京都,神戸はライバルにならないからだ,ということを京都や神戸が認識しなければなりません.つまり,京都,神戸,奈良の価値の多くの部分は大阪が作っていることを認識して欲しいものです.

一方で,大阪もそのことをもっと強く認識しなければなりません.そして,この世界にも例を見ない都市圏を世界に発信することも大阪の責務だと思います.ちょっと思い入れが先行した書き込みになってしまいましたが,大阪にはそれぐらいの価値はあると思います.

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市電廃止の、あの日。左が中馬馨市長

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大阪歴史博物館からみる「難波宮史跡公園」。大極殿の基壇も見える。

(マッチ)
ところで先日、関東の地図を見てみたのですが、横浜市の境界がどのような分布になっているか、とくに山側を見てみると東急田園都市線はわりに新しい路線ですが、近年非常に乗客の増えた路線のようです。
この線はメトロ半蔵門線との直通運転によって、渋谷を結んでいるのですが、多摩川を渡ると川崎市で、すぐに横浜市になってしまいます。青葉区のようですが、「たまプラーザ」とか「あざみ野」もっと行くと「藤が丘」「青葉台」とか、つつじが丘という地名もあります。何だか神戸の垂水区か西区にそっくりですね。さらに行くと町田市になって「つくし野」「すずかけ台」とか。

よく見たら町田市って東京都ですね。つまり東京と東京の中間は広大な横浜市と川崎市となっています。
渋谷からたまプラーザまで約15km、青葉台まで20km程度でしょうか。梅田−三宮が30kmを超えるのを考えると渋谷から横浜青葉区は近いって感じます。おまけにここから横浜都心部には行きにくいです。JRでは横浜線、南武線ですが、横浜地下鉄は2本しかなくてブルーラインがあざみ野まで。これより北には小田急線もありますが、どっちにしても大阪との位置関係では西宮か宝塚市あたりが横浜市ですね。

> 東京−横浜間は大阪−神戸間よりはるかに近いです。

そういう意味では,実は東京都市圏より大阪都市圏のほうが今でも大きいかも知れないのです.千葉や埼玉も開けてきましたが,歴史や文化はありません.都市圏は単に人口規模ではなく,文化や歴史の規模もあるので,大阪都市圏はやはり別格と思います.

以上のようなスキームの中で大阪,奈良,京都,神戸の4都市を核とした都市圏を考えるとき,阪神なんば線開通の意義は巷間ささやかれているよりすっと大きいものがあるように思います.

東京の大阪に対する最大のコンプレックスは奈良と京都です.神戸は横浜があると東京は思っています.しかし,実はそれも間違いだと思います.東京はがん細胞のごとき無秩序な拡大の中で横浜を衛星都市にしてしまいましたが,大阪は神戸をそのようにはしませんでした.それは大阪都市圏の今後にとって大きな資源になる可能性を秘めているような気がします.

今回の書き込みのイメージ,少し時間をかけて具体性のあるプランを構築してみたいと思います.

(マッチ)
「自虐・お笑いはもう飽きた」・・・
大阪人自身も悪乗りして、自虐を繰り返してきた面もあるようですが、「もう飽きた、洒落にならん」・・・
今一度、真面目な大阪を全国に発信する必要があるように感じます。
このような意見を滋賀県や奈良県の人が述べているのを見たことがあります。

私は意外に大阪好きな人がまわりにいるのだと感じると同時に、大阪への期待も大きいと感じました。これは近畿地方の人だから大阪をよく知っているからこその期待だと思います。
遠い地方の人だとそうはいきません。知るすべがないですから・・・

大阪が並みの都市と誤解されるのは、やはり260万人の大阪市の夜間人口によるところが大きいですね。大正14年の市域拡張で一気に現在に近い180kuの市域面積になったのですが、それで戦前昭和15年頃には人口ピークが330万人あたりで、戦後はこの人口まで回復しなかったのです。
ところが東京は大阪の市域拡張の7年後、昭和7年に市域拡張を実施して35区とし、じつに大阪市の3倍の面積、現在の23区の区域を東京市の市域としました。この市域拡張によって東京は一気に大阪を人口でも面積でも大きく抜き去ったのでした。その後、東京市、東京府の併合で東京都が発足しましたが、完全に現在の23特別区になったのは昭和23年だったと思います。

大阪はどうすべきか、大阪府・大阪市の合併しかないでしょうね。そのときは現在の大阪市は発展的解消消滅させて、大阪府域全体を「大阪特別市」として府市の合併組織が行政に当たるのが良いように考えていますが、いかがでしょうか。(掲示板の書き込み年月は、現大阪市長橋下徹氏が大阪都構想を発表以前です)
大阪市域は分割のうえ基礎的自治体に移行し、豊中や吹田などの周辺の都市部は区にする必要がありますけど。
政府はいろいろいちゃもんをつけて妨害する可能性が高いですが、大阪はそれを跳ね付けるだけの強い意思が必要になると思います。
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posted by マッチ at 15:48| Comment(4) | 天満橋・大手前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする